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書体の移り変わり


甲骨文
古代中国の「商(殷)」時代の、紀元前1400年から紀元前1100年頃までのものが発見されています。
神と王との交信の記録で、庶民の目にはまったくふれませんでした。
祖先の祭礼、狩猟、農作の豊凶などを神に問い、その占いの結果を牛の肩胛骨や亀の甲良に彫ったものです。
上は「馬」という字ですが、地に足をついておらず、時計方向に90度回転しています。
同時期の「虎」や「象」は足を地につけている字も存在することから、甲骨文よりももっと古い時代の文字が存在することを暗示しています。


金文
諸国の王に周王が贈った青銅器などの金属に鋳込まれた文字で、主に周代(紀元前1100年から紀元前700年位)のものを指しますが、殷(商)の甲骨文の時代にも金文が存在します。
神と諸国の王との間に周王がいるという図式です。


小篆
書道の本などには、
「戦国時代末期、7つあった強国を統一した秦の始皇帝は、宰相の李斯に命じて大篆を元に小篆を作らせ、それぞれの国で不統一だった字体を、小篆に統一した。」
とされていますが、「秦公キ」(紀元前575ごろ)を見ればわかるとおり、
小篆(秦篆)は統一前に完成していました。
国の統一前の春秋戦国時代には盟書を交わしたり、政略結婚や人質をとったりしていますが、文字が通用しなくてどうしてそんなことができたのでしょう。
要するにもともと秦が自国で使っていた文字を、他国に強要したということです。
皇帝が政治的に使った文字です。


隷書
秦の時代にはもう隷書は使われていました。つまり通行体です。初期の隷書は篆書の行書といえるかもしれません。
元は兵隊が使う隷属の文字であったといわれています。
紀元前1世紀になると波磔(波を打つような右払い)を加えた、運筆のリズムを生かしたものが現れました。これを八分(はっぷん)といいます。


草書
草書は楷書をくずしたものだと思われる方も多いと思いますが、実は隷書の時代には草書がありました。
つまり、隷書をくずした草書と楷書をくずした草書があります。
上の草書は隷書をくずした草書です。


行書
正書(正式書体)は篆書、隷書、楷書の3つです。
ただし、隷書は篆書の通行体が正書に成り上がった、いわば疑似正書といえるものです。
正書のそれぞれに行書(通行体)があります。
隷書はもともと篆書の行書だったのではないでしょうか。
上の行書は隷書の行書です。


六朝楷書(りくちょうかいしょ)
楷書は初唐期に絶頂期を迎えますが、それ以前の楷書発生の姿です。
このころは石に文字を彫るときに、彫りのスタイルがあったとおもわれます。
つまり彫り師がレタッチして彫っていると考えられます。


楷書
左が初唐のもの、右が中唐のものです。
小篆から古隷、八分を経て楷書ができますが、その間にいろいろな字体ができました。初唐になって字体を整理する作業が行われます。その際、小篆まで遡って字体を考察し字体を正したものを「正字」といいます。つまり「正字」というのは小篆の字体をむりやり楷書にあてはめたものです。「正字」は皇帝用の特殊な字体であり、一般にはつかわれませんでした。
一般に使われていたのは「通字」です。書道字典に載っているのも「通字」です。書道では「通字」を書きます。正字を書いちゃうとちょっと恥ずかしいです。
明治以降、日本では『康煕字典』に載っている正字を採用しましたので、注意が必要です。科挙の試験には「正字」を書かなければなりませんでした。


清時代の篆書と隷書
清代には古い時代の文字の研究が流行しました。
同じ書体でも書き手の個性が感じられますね。


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